google.com, pub-8728275454786337, DIRECT, f08c47fec0942fa0 歴史新聞:4月1日は何が起こった日!? 『江戸炎上――明和の大火、都を呑む!一夜にして十万人の家を失い、1万5千人が命を落とす!江戸の空、三日三晩 煙に閉ざされ、嗚咽と祈りが町を包む』 - 長町ゼミナール

歴史新聞:4月1日は何が起こった日!? 『江戸炎上――明和の大火、都を呑む!一夜にして十万人の家を失い、1万5千人が命を落とす!江戸の空、三日三晩 煙に閉ざされ、嗚咽と祈りが町を包む』

歴史新聞、本日4月1日は何が起こった日!?

今日は歴史上で何が起こった日なのかを新聞のように報道します。

トピック『江戸炎上――明和の大火、町を呑む!一夜にして十万人の家を失い、1万5千人が命を落とす!江戸の空、三日三晩 煙に閉ざされ、嗚咽と祈りが町を包む』

明和九年2月29日(新暦 1772年4月1日)

本日未明、目黒行人坂大円寺より出火。西南の強風にあおられ、瞬く間に町を呑み、家々を焼き尽くし、その惨状は「これぞ江戸開府以来の最大の禍」と、老若男女の語るところとなった。

この大火は後に「明和の大火」と呼ばれることとなった。(『目黒行人坂の大火』ともいう)

強風と乾燥により、いずれの町も見境なく焼き尽くされた。

[町人の叫び「子が、母が、焼けた家の中に…」]

焼失区域は、麻布・芝・京橋・日本橋・神田・本郷・浅草等に延焼,千住まで達し至るまで広範囲に及び、江戸城の一部までもが炎に包まれる非常事態となった。

避難する間もなく命を落とした者は数知れず。
ある茶屋女は泣き崩れながら、本紙記者にこう語った。

「息子を背負って逃げようとしたが、煙で目が見えず、腕からすべり落ちて……声が、声がもう聞こえなかったんです……」 

また、火を逃れた者たちも、家を失い、寒空の下で焚き火に寄せ合いながら一夜を明かした。
母を呼ぶ幼子の声、遺体を抱いて動かぬ者、焼け跡を掘り返す手――江戸は今、沈黙の町と化している。

[寺も町も、灰に――江戸は地獄]

鎮火した後の町には、
屋根も柱も消え失せ、あたり一面に灰と焼けた木の臭いが漂っている。

浅草寺・増上寺・築地本願寺などの名刹も被災。
葬儀すら追いつかず、焼けた寺の跡地で弔う人々の姿が、火よりも胸を焦がす。

[幕府、非常対策へ――「再建は幕府の責」]

この大火を受けて、老中奉書により、幕府は非常態勢を布告。
炊き出し、仮設小屋、罹災者支援の策を急ぎ、全国の大名にも協力を要請している。

「再建は幕府の責にあり」として、江戸再興の誓いが立てられたが、
民の心には、まだ火の粉が降っている。

[明和の大火、「火付けの犯人」ついに捕縛!]

大円寺に盗みに入った真秀という無宿人が放火したことが原因だった。

ならずもので、放火して人々が混乱している中で盗みを働く火事場泥棒の常習者だったということだ。

大円寺には修行僧として住み込んでいた時もあったが、和尚に破門されていたらしい。

大円寺に火をかけた真秀は、火付盗賊改によって捕縛され、のちに火あぶりの刑となった。

【注意】、あくまでも歴史新聞報道で、当時の状況を再現した報道であり、現代の報道ではありません。

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