歴史新聞、本日3月18日は何が起こった日!?
今日は歴史上で何が起こった日なのかを新聞のように報道します。
トピック『承元の法難、法然流罪!弟子の親鸞も連座――鎌倉の仏教界を揺るがす弾圧、弟子たちにも厳刑』

承元元年二月十八日(1207年3月18日)
本日、京の町を震撼させる大事件が発生した。法然上人の浄土宗が弾圧され、門弟の親鸞らが流罪となったのである。
近年、法然上人が広めた「南無阿弥陀仏を唱えれば、すべての人が極楽往生できる」という教えは、庶民のみならず貴族や武士にも広まり、日々多くの者がその信仰に身を投じていた。しかし、この教えが、朝廷や旧来の仏教勢力の反発を招き、ついに厳しい弾圧の手が下されたのだ。
[なぜ法然とその弟子たちは罰せられたのか?]
法然上人の教えは、厳しい修行を必要とせず、ひたすら「南無阿弥陀仏」と唱えることで往生が叶うとするものであった。この単純明快な教えは、貴賤を問わず誰にでも救いをもたらすとして、多くの人々に受け入れられた。
しかし、これを快く思わぬ勢力もあった。旧来の仏教勢力は、厳しい戒律と修行を重んじる仏教こそが正道であるとし、「念仏のみで救われるなど言語道断!」と批判。 また、貴族社会においては、庶民が出家者と同じように念仏を唱えれば極楽往生できるという思想が、既存の秩序を揺るがすものと見なされた。
そんな折、ある事件が起こった。法然の門弟である住蓮・安楽が、出家していない宮中の女官たちに念仏を勧めたことで、宮廷を巻き込む大問題に発展。 これが、朝廷の怒りを買い、法然の教えが邪道と断じられるきっかけとなったのである。
[法然、土佐へ流罪――親鸞は越後へ]
この騒動の結果、朝廷は法然上人を土佐へ流罪とする決定を下した。 さらに、多くの弟子たちも厳罰に処されることとなった。
中でも、**親鸞**は越後へと流されることとなった。親鸞は法然の教えに深く帰依し、「愚禿親鸞」と名乗るほど謙虚に生きた人物であった。彼がなぜ流罪にならねばならなかったのか――その無念はいかばかりであろうか。
さらに、最も厳しい処分が下されたのは、事件の発端となった住蓮と安楽であった。彼らは処刑という最も苛烈な罰を受けたのである。
[京の人々、涙の別れ]
法然上人の流罪が決まったことを知ると、京の町には悲しみの声が広がった。
「法然様は、ただ念仏の教えを広めただけではないか!」
「親鸞様までも罪に問われるとは、世の中はあまりにも理不尽ではないか!」
庶民の間では、涙ながらに南無阿弥陀仏を唱える者も多く、法然と親鸞の門弟たちは「仏の教えは消えることはない」と誓い合ったという。
【注意】、あくまでも歴史新聞報道で、当時の状況を再現した報道であり、現代の報道ではありません。
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